やましろ里山の会

「自然を大切にする・仲間の輪を大きくする」-やましろ里山の会活動紹介

NPO法人「やましろ里山の会」常務理事 山村 武正さん

活動の始まり(1996年~1999年ころ)

山村 武正さん
山村 武正さん

やましろ里山の会は1996年(平成8年)に発足しました。その時はみんなでどんな活動をするのか、何をするのか相談しました。植物のことをいろいろ考えていくのだから自然を大切にするということを一つの目標にし、自然を大切にするためには人の力がいるのだし、人の集まる輪を大きくするという二つを目標にしようということでした。15年たってみて、働きかけることを絶えず考え、止まっていたらあかんということで、このスローガンはよかったなと思います。
 学研都市京田辺の最後の開発地というところを歩いてみるとたくさんの植物が見つかりました。府内最大のナツフジが見つかりました。府内最大の木だから残せと交渉し、それじゃ計画を変えて公園にして残すという約束がされました。「京田辺市に公園なんかもろたら金がかかってたまらん」という市へもなに言うてんねと話をして開発地の中の用地として今も残っています。あまりにも回りが開発されたので枯れてしまったのですが。池のなかに花が咲いていました。はじめは何でこんな発泡スチロールが浮かんでいるのやろということやったのですがそれがオオミズオオバコという花だったのです。これも大切なものだと交渉し、この池は今も残ることになりました。このように開発からしっかり成果を残すことができた。これでみんな確信を持つことが出来ました。

植物調査の時代(2001年~2005年ころ)

木津川の堤防を歩き回りました。八幡から加茂まで24Kmを堤防が二本あるので往復4回歩くのです。それも土手を上がったり下がったりする調査です。もうくたくたです。花は咲く時期に行かないと写真はとれません。顧問の村田源とおっしゃる日本でも屈指の植物の先生がおられのですが、学生の時に発見された世界の中で基準植物と言われるものですが、それを再度発見することが出来ました。2001年には「木津川花ごよみ」という本を出しました。山もこんなことで歩きました。貴重な国蝶(愛好家がみんなで決めたもの)オオムラキの生息を普賢寺の谷で確認しました。公表されているのはこの京田辺だけです。広い場所でたった1本の貴重な花に出会えることは大変なことです。みんなで歩いて気づく。学者の人が「こんなもんあるはずがない」と頭から思っていると見つからへんのです。素人が「これ何」というたら大変な発見が出来るのです。素人の時代だと思います。この時期に助成金の申請もするようになりました。盗掘で絶滅したと言われたウナバラソウなど、木津川にはこうした植物が生き延びられる条件があるというところがすばらしい。木津川に誇りを持ってほしいと思います。

発見の時代(2006年~2010年ころ)

43年前に絶滅したと伝えられたものをみんなで発見しました。絶滅したものが復活しました。カスミサンショウウオです。減反が始まる前、農薬が使われる前に放棄されたものだと思いますが、そこに生息していたのです。楊貴妃の詩にも出てくるレンリソウは豆科の植物です。見つけた時は5株でしたが、今は20株に増えました。京都府の「絶滅危惧種」なのでとると罰金です。このころから小学校への出前授業を始めました。植物の話やら、地域の話やら、木津川の話やらをしています。そして、実績が認められて助成金が通るようになってきます。年間約300万円の助成金がとれるようになってきました。

記録発表の時代(2010年~)

京都府の植物誌をつくりました。京都府には3819種(記録として残っているもの)の植物がありますが、これを10年ほどかかって調べこつこつと作り上げました。どこに出しても通用するもので、村田源先生もすばらしいとおっしゃってます。木津川には817種の植物があるのです。レッドデーターに載っている植物27種が83箇所に生息しています。こうした植物の標本を置く場所がなかったので、結局国土交通省と話して、国立で植物の管理をするところが出来ました。

今考えている「会の活動」について

※今私たちが考えているのは、里山農園の拡充ということで、広さで言えば3反くらいの耕作放棄地をみんなで草を刈って田んぼに復元することができました。普賢寺という所は、人口が増えている京田辺の中でも人口が減っている地域です。若い人が減って祭もできなくなってきた地域です。あたらしい家も建てにくいところです。自然環境が良いところで、近鉄電車を降りて15分も行った所に、こんな風鯉明美なところがあるのが京田辺の宝だと思っています。そこをなんとか維持し村を元気にしないといけないと思っている所に、会員さんから土地を提供してくれる人が出てきました。昨年刈ると今年の6月にササユリが出てきました。40年もなにもしてない所で、笹を刈ると待っていたように咲いたのです。
 ※木津川の河川状態ですが、砂が5mは下がっています。水の量は変わらないと国交省は言っていますから川幅が狭くなって流れが急になってきていますから、砂がどんどん流されて川のもようが大きく変わってきています。大阪では、砂利船で10パイずつ砂を毎日上げています。その分は上から流れてきているわけです。木津川の砂は骨材として最も貴重な砂だとされています。山砂にはない良いものだと、貴重品として使われています。川が深くなって掘れると大量の水を流すことが出来るので洪水対策には良いということになりますが、川底が下がって田んぼの水が入らなくなるのでくみ上げなくてはならんということになるんです。デメリットとメリットがそれぞれあるからよく考えなければなりません。
 ※認定NPO法人資格というのがあります。これは納税者がNPO法人に寄付をすると寄付の40~50%が還ってくるという制度なのです。今年4月から実施されて、京都府では5つのNPO法人が認定されています。この資格を取るためには、年間運営費の20%以上寄付金で賄うか、3000円以上の寄付者を100人以上持っているか、どちらかを満たさないと認定NPO法人にはなれません。これをなんとかやりたいと思います。
 ※木津川の動物も植物も景観も、良い姿を伝える副読本的なものを作ろうと考えています。私たちは環境大臣賞をもらいました。パンフレットをつくって木津川管内の24,000人ほどの子どもたちに配ってもらう準備をしています。

「里山の会」紹介と運営

私たちの会は、会員250名、年間決算827万円、イベント回数109回、のべ参加者数7,453人です。なにが力になってきたのか考えてみました。
 ○発足以来年中無休の事務局会議やっています。毎週水曜日9時から12時開催で、好きなことを言って、やりたいことを言う。事務局員とかではなく、誰でもおいでという会議です。
 ○運営は、参加者の自主的・自覚的なもので「天の声」はありません。
 ○なんでも記録しておくことが大事です。そして、なにをしても無償です。自前で記録と無償ということ。お茶も自分で買ってきてやるということです。集まっても記録するというのは苦手です。口だけ、手だけ人は多いのですが記録はなかなかできません。そのうえ文章などと言ったらもっと苦手です。「退職して住所と名前しか書くことないやろ。そやさかい、ここにきて書いてって言われるのは幸せなんや」と言って書いてもらっています。
 ○責任の追及はありません。みんなで出来ひんかったらどうしようと話し合います。「しんどい」言うたら助けてくれる。人手が足りひん、抜けたということがあっても無理をしないことが大事です。失敗あってもやいやい言わない。
 ○飽きない程度に繰り返す。何ヶ月ごとでも、できるまで言い続けることが大事です。会員も250人々と、ここが難しいのですがくどくない程度に言い続けて到達するのです。
 ○分かりやすいスローガンつくっていくのがみんなが一つになるポイントです。何のために、誰のために、どんなふうにやるのか。年度総会で決めたことを時々思い出すように、なるべく早く強調しておいて、こんなことやるんやなと心構えをしておいてもらう。
 ○飲み食いは自分持ちで、そういう場をつくってあげる。定年退職者は現役時代のようにみんなでいこうという場がない。そういう場をつくること、ワイワイガヤガヤが憩いの場となります。
 私たちは賞をもらいましたが、もらえば世間のきびしい目があり、期待も高まります。より一層がんばりたいと思います。

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